石川一雄さんの死去にあたって
東京平和運動センター・狭山東京実行委員会議長
中條貴仁
狭山事件で無実を訴え、不屈の精神で闘われてきた石川一雄さんが3月11日に逝去されました。突然の訃報に際し、東京平和運動センター、狭山東京実行委員会を代表して、哀悼の意を表します。
狭山事件は、1963年に起きた女子高生誘拐殺人事件であり、石川一雄さんは誘拐殺人犯の汚名を着せられて、62年間闘い続けてきました。
1964年に浦和地裁で死刑判決、1974年東京高裁で無期懲役判決、1977年最高裁で上告棄却されたことから、第1次再審請求闘争が始まりました。1986年から第2次、2006年から現在の第3次再審請求闘争が始まっています。
1994年12月に仮出獄してからは、全国の仲間と交流し、無罪を訴え続けてきました。
一昨年の年末に東京高裁の裁判長が家令裁判長に交代し、三者協議において鑑定人尋問の実施と裁判所独自でインクの鑑定実施を求める弁護側の求めに対し、これまでとは異なる裁判所の対応が期待されていた矢先であり、石川一雄さんの無念な気持ちは計り知れません。
ここまで、再審闘争が長期化している主な原因は、現在の再審制度にあります。検察側の権限が強すぎて、被告側の権利が弱すぎます。再審法を改正しなければ、公平な裁判制度とは言えません。
狭山東京実行委員会は、1995年に結成し、第2次闘争から参加し、今年で30年を迎えることになります。毎年、集会と総会を開催し、時には石川さん夫妻にも参加をいただき、学習交流等を行ってきました。何より狭山事件という冤罪事件を広く世間の人々に認識してもらうための取組みを、実行委員会のメンバー一丸となって行ってきました。
石川一雄さんが亡くなり、法律上、再審請求闘争は一区切りとなりますが、早智子さんを申立人として新たな再審請求闘争が始まります。石川一雄さんの無罪判決、再審法の改正の実現に向けて、狭山東京実行委員会は取り組みを継続していきます。