「パレスチナ土地の日」にちなみ新宿駅円周ラッピングデモが行われる

 3月30日は「パレスチナ土地の日」。これは、1976年3月30日にイスラエルが何百万平方メートルものパレスチナ人の土地を奪ったことにより発生した事件が発端となっています。この日、土地接収の際に衝突があり、6人のパレスチナ人が死亡し、約100人が負傷しました。イスラエル警察に射殺された6人のパレスチナの人たちを悼み、毎年3月30日が「土地の日」とされ、イスラエルによって住み慣れた土地から追放されたパレスチナの人々が故郷へ、自宅に戻る権利である「帰還権」を持っていることを訴え、そして、その帰還権を訴えてたたかった幾人もの人々がイスラエルによって虐殺された人々の死を悼む日とされてきました。
 当日は14時から新宿駅を包囲する「パレスチナ土地の日・新宿駅ラッピングデモ」が開催され、見事に駅周辺を一周、プラカードやパレスチナの旗を掲げた人びとでつながることができました。
 戦争をさせない1000人委員会は、新宿駅西口が担当エリアとなり、平和フォーラムの染事務局長がアピールのコーディネート役を務め、各地の戦争をさせない1000人委員会の参加者でリレートークを行いました。
 この日の行動のまとめとして15時半から新宿駅南口で全体集会が開催され、パレスチナ出身で日本にする在住するパレスチナの若者二人が発言し、「3月30日は、イスラエルによる1848年以来パレスチナ人を抹殺しようとする攻撃に抵抗し闘ってきた人々とその歴史に敬意を表す日でもあり、1976年の3月30日に闘ってイスラエルから虐殺された6人の死を悼む日である。この日に、厳粛な誓いを建てましょう。パレスチナの解放のため、奪われた土地が帰るまで、正義が果たされ、盗まれた土地が、隅々まで所有者に帰還されるまでたたかうことを!」と訴えました。
 最後に、ガザに住む23歳の誕生日を迎えた青年からメッセ―ジが寄せられ「僕は母と叔父を今回のガザ攻撃で失いました。子どものころからイスラエルによるガザへの犯罪を観てきました。これまでの誕生日には、母から家族からお祝いの声を掛けられ、そして願い事をしてきました。しかし、今日の誕生日は最悪です。母は亡くなり、ジュースも水も食べものもない、ケーキもありません。しかし今、願うことは戦争をやめさせ、ジェノサイドをやめさせ、罪もない人がもうこれ以上殺されないことです。そして、きっと近い将来ガザも封鎖を終わらせ、全面的なパレスチナの解放が実現することを願っています。」と読み上げられました。