被災から70年、ビキニデー集会と久保山愛吉さん墓前祭が行われる

 3月1日、この日は1954年に南太平洋ビキニ環礁で行われた、アメリカの水爆実験によって、南太平洋で操業中だった日本のマグロはえ縄漁船第五福竜丸(焼津漁港所属)をはじめとする多くの漁船と乗組員が被爆した「ビキニデー」に当たります。地元静岡市の商工会議所を会場に「ビキニデー集会」が開催され、地元市民のほか、全国から180人が集まりました。

 夕方から開催された集会では、長崎大学の核兵器廃絶研究センター(RECNA)准教授の中村桂子さん(写真左)が「核兵器廃絶に向けた世界の動きと私たちの課題」と題した講演を行いました。中村さんは「ビキニデーは終わった話ではない」として、核兵器廃絶に向けた「核兵器禁止条約」の意義と、日本が取り組むべき課題を訴えました。

 続いて高校生平和大使として、「核兵器禁止条約」の締約国会議にオブザーバー参加をした大内由紀子さん(写真右)が、その時の経験と現在取り組んでいるConnect Hiroshima)の活動を報告しました。

 第26代の高校生大使と、長崎派遣代表の3人の高校生による訴えは、とても心に響くものでした。

 翌日3月2日午後1時半から、焼津市の弘徳院において「久保山愛吉さん墓前祭」が執り行われました。ご住職の読経の中、代表者による献花と参加者全員で久保山愛吉さんの墓前に線香を手向けました。